天の川、スカイフィッシュの釣り堀にて

安眠妨害水族館では書かないこと、書けないこと

「丘戦争に見るMCの重要性」

"丘戦争"こと「ANDROGYNOS」が終わった。

PIERROTとDIR EN GREYが2017年に対バンイベントを開催するというのだから、そりゃ盛り上がらないわけがない。

僕も行きたくて仕方がなくて、実際、知人からチケットを譲るよっていう話はいただいたりもしたのだが、7日は仕事、8日は娘の行事が重なっていたため、参戦することは叶わなかった。

(戦争に行くわけでもないのだからと、あえてライブに行くことを"参戦"とは言わないようにしているのだが、このイベントについては"参戦"が適切なのだと思う。)

 

待機組としては、情報を得る一番のツールはSNSだ。

これから雑誌やネットニュースの記事もあれこれ出てくるのだろうが、ファンの声がダイレクトで拡散されるSNS、要するにTwitterが世界最速であることは言うまでもない。

衣装やセットなど、権利上撮影できない部分についても、この規模のイベントであれば、再現イラストまで登場してくるから、行くところまで行ったなという気さえしてくる。

この点に関しては、リハ中や楽屋で撮った写真をアーティスト側がアップしてくれることも多くなり、Twitterだけでもそれなりの情報は得られるようになった。

 

さて、情報を集めていて、改めて認識したことがある。

それは、MCの重さだ。

セットリストがほとんど変わらない全国ツアーの真っ只中ならともかく、2日間だけのスペシャルイベントであれば、どれもこれもが新鮮で衝撃的でしかるべきだ。

なのに、Twitterに溢れているのは、キリトさんがこんなことを言っていたとか、京さんが珍しくたくさん喋ったとか、MCに関する内容が大半。

この曲の演奏がベストだったとか、あの演出が格好良かったとか、そういうライブの本編に関わるところよりも、繋ぎであるはずのMCにスポットライトが当たりやすいということなのだと思う。

 

誤解がないように断っておくが、バンギャルは音楽を聴いていないとか、自分の推しが何を喋ったかにしか興味がないとか、そんなことを言いたいわけではない。

TwitterにMCのレポートを呟いている人たちだって、思い入れのある曲を生で聴いて感動し、銀テープが舞う演出やオーディエンスの美しく揃ったフリにドキドキし、メンバーが高度なテクニックと激しいパフォーマンスを両立していて驚いたりしていたはずだ。

ただ、テンションが上がった状態で呟くTwitterでの速報文に、わざわざ「TAKEOさん、2曲目のBメロ部分で音源で聴いていた以上にオカズを入れていて、ただ叩き切るだけでも難解なのにアドリブを表情変えずに入れてくるの恐ろしい。」なんて普通は書かない。

こういうのは、備忘録として長文を書く癖がある人が冷静になってから書く内容。

行けなかった人に楽しさを伝えるにしても、自分用の記録にしても、速報ベースではMCを引用するのがもっとも効率的、かつ象徴的なのである。

 

そんなわけで、次があれば行きたい、映像化するなら見たいという気持ちは駆り立てられたのだが、演出面でどんなライブだったかはよくわからないまま。

それが悪いというわけではなく、そういうものだとして理解しなければいけないということだ。

MCが滑っていた、という内容だけが回ってきたからといって、ライブの完成度が低かったとは限らないし、MCが面白かった、というのはMC以外がパッとしなかったということかもしれない。

アーティスト側も、MCはその場限りだから適当でいいや、なんて思っていたら、適当なライブだったという印象で拡散されてしまう恐れあり。

SNS時代になって、MCは"その日来たお客さんしか知ることができない内緒話"ではなくなってしまったということを、ちゃんと認識する必要があるのではなかろうか。

 

そのうち、MCが面白くなければメジャーからは声がかからない、なんて都市伝説が生まれたりして。

もっとも「ANDROGYNOS」については、MCでの煽りも演出として一役買っていた様子。

この日のMCが良かったと呟いていた人たちは、ライブ全体が素晴らしかったとそのまま置き換えて問題ないのだろうな。

行かなかったことに後悔はないけれど、行けるものなら行きたかったものである。