天の川、スカイフィッシュの釣り堀にて

安眠妨害水族館では書かないこと、書けないこと

「割らないで飲みたい」

梅酒を頼むと、水割りにするかソーダ割りにするかを聞かれる。

それでも、ストレート、またはロックと言えば、注文は通ってしまう。

 

一方で、カルピスだ。

カルピスを頼んでも、やっぱり水割りにするかソーダ割りにするかを聞かれる。

だが、ストレート、またはロックと言っても、注文は通らない。

 

僕はかなりの甘党で、10代の頃はドリンクバーでコーラにガムシロップを入れて飲んでいたほど。

カルピスは、原液に氷を入れたぐらい濃いのが至高と思っている。

それなのに、カルピス・ロックを出してくれる店は、ほとんどないのだ。

 

もちろん、それに腹を立てても仕方ないことは理解している。

仕入れた段階からカルピスウォーターとカルピスソーダなのかもしれないし、そもそも僕の味覚が少しズレているということは、さすがに受け入れざるを得ない。

この話を持ち出したのは、声高にカルピスを原液で出せと主張したいからではなく、過去にたったひとつだけ、カルピスを原液で出してくれた居酒屋にお礼を言いたいからだ。

 

もう5年以上前だろうか。

いつものように水で割るかソーダで割るかを聞かれたので、「ちなみに、カルピスをロックにできますか?」と尋ねてみたところ、なんと、そのまま注文が取ってしまった。

その後出てきたのは、テキーラのショット用のグラスに注がれた、カルピスの原液。

入れ物が小さいのは、水やソーダで割った場合に入る原液が、このぐらいの量だということなのだろう。

 

それなのに、僕は憤っていた。

僕はロックの注文をしたはずなのに、出てきたのはストレート。

氷が入っていないじゃないか、と。

単純に、僕が若かったのだ。

原液で出てきたこと自体、本来のサービスの範囲を超えているというのに。

 

僕の無礼に気付いたのは、他の居酒屋では、ロックはおろか、ストレートすら出してくれないという事実を知ってから。

時すでに遅し。

あのときサービスしてくれた店員は、既にお店から去っていた。

お礼も、謝罪も言えないまま。

おそらくあの店員がこの文章を見ることはないのだろうが、この場で、ありがとうを伝えたい。

無茶を言って申し訳ありませんでした、という言葉も添えて。

 

月日は流れ、またひとつ大人になった僕。

今では、もうカルピスをロックで注文することはない。

多くの場合、店員を困らせることになるとわかったから。

あと、あの量で450円ってちょっと割高だなって思ってしまったから。

 

「"ら行"のCD棚には夢があった」

いつからだろう、近所のCDショップにふらっと立ち寄り、"ら行"から物色しなくなったのは。

"ら行"の棚に何が置いてあるかで、そのショップの"V系偏差値"を推し量ることをしなくなったのは。

 

90年代後半に巻き起こったV系バブルにより、2000年前後は近所のCDショップでもたくさんヴィジュアル系バンドのCDが並んでいた。

その頃は、そもそもCDが爆発的に売れていた時代。

CDショップの選択肢も、今よりたくさんあったと思う。

 

その中で、V系偏差値の高い近所のCDショップを見つけるというのは重要課題だった。

5,000枚限定!みたいな危機感を煽る売り方が主流だった当時、注目バンドのCDは発売後に即品薄になることもしばしば。

遠くまで行く足もなく、プレ値を出す金もなく、という高校生にとって、近場ですぐに欲しいCDが買えるお店はありがたい。

こういうお店は、人が集まる専門店や大型チェーン店に比べて、買い逃した品薄品がしれっと残っていたりする面白味もあった。

 

では、どのようにV系偏差値を判定していたかと言えば、"ら行"の棚を見ることだ。

L'Arc〜en〜Cielはどの店も当然のように置いてあって、偏差値が上がると、メジャーデビューを果たしたLa’cryma Christi、Laputa、RaphaelLAREINE、Lastierなども見かけるようになる。

偏差値マックスのショップは、LamielやLa’Muleなどのインディーズバンドも取り扱っているから、見つけたときは小躍りしたものだ。

"ら"だけに絞っても、これだけのバンド名がポンポンと出てくるのだから、ここにV系CDがほとんどなければ、そのショップのV系偏差値は絶望的だ。

単純に頭出ししていけば、"か行"や"た行"も相応にV系バンド数は多いのだけれど、"ら行"は比率としてヴィジュアル系バンドが目立ちやすい傾向にあった。

 

CD不況の中、今もなおCDを買い続けている僕であっても、地場のCDショップで買い物をする機会はほとんどない。

ほとんどのCDが通販で済んでしまうし、品薄になってもデジタル販売等の救済策もある。

ジャケ買いしようと足を運ぶにしても、「専門店で買えば特典が付くしな」、「タワレコのポイントが溜まってたしな」などと考えてしまって、近所のCDショップで買わなければいけない状況がなくなってしまった。

近所の人間しか知らないような小さな店で、マニアックなCDを見つけたときのドキドキ感。

そのときに手持ちがなくて、これを誰かに取られないようにとクラシックの棚にこっそり移し替えてみたりしたあの感覚、今の中高生とは共有できないものなのだろうな。

 

なんとなく、ノスタルジックな気持ちに駆られて、ふと見つけたCDショップに入ってみる。

"ら行"の棚は、RADWIMPSがメインに据えられ、その横にはいつの間にかリリースされたらしいラッパ我リヤのアルバムが。

頼みの綱であるL'Arc〜en〜CielやLUNA SEAですら見当たらない。

家に帰ってAmazonlynch.のミニアルバムを注文しながら、クラシックの棚に移したはずだったLAREINEの「BLUE ROMANCE~優しい花達の狂奏~」が、しっかり"ら行"の棚に戻っていたあの日を思い出す。

バレないと思ったのに、ちゃんと見ているものなのね。

 

 

「やめどきがわからない」

僕の趣味は、「V系を中心に音楽を聴くこと」、あるいは「それによって感じたことを文章に残すこと」になるのだろう。

もっとも、初対面の人にはそこまでディープに話す必要もないので、「Jリーグを見ること」と言うことが多い。

丸めて「音楽鑑賞」でも良いのだが、その次の「どんな曲を聴くの?」が面倒だから、サッカーのほうが楽なのだ。

 

それらが趣味になったきっかけを思い出すと、なんてことはない、ミーハー心によるもの。

小学校のときにJリーグが開幕して、周りがみんな夢中になった。

スポーツに興味を持ち始めたタイミングで、そんなお祭り騒ぎが巻き起こったものだから、僕も一緒にのめり込んで今に至る。

中学生の頃には、V系バブルの予兆が来る。

今度は、音楽に興味を持ち始めたタイミングだ。

もちろん、本当にハマるまでには色々と理由があるのだが、突き詰めると「流行に乗った」ということになってしまう。

 

レビューブログを長いことやっていると、継続は力なり、的な言葉をいただける機会も増えてきた。

でも、僕からしてみたら、やめどきがわからないだけ。

ブームとしては落ち着いたポケモンGOだって、まだまだやり続ける気満々の僕。

はじめたからには、続けるのが普通でしょ?

だって、嫌いになったわけではないんだもの、という感覚なのだ。

 

そういえば、あの頃のサッカー少年たちは、いつの間にかバスケットボール部に入っていた。

「一緒にDeshabillzのコピーバンドをやろうぜ!」と約束していた友達も、高校に入ったら別の音楽仲間とくるりのコピバンを結成した。

どうやら多くの人は、新しいブームが来たら、趣味は上書き更新されるらしい。

そんなことをしたら、今まで費やしてきた時間とかお金とか、全部無駄になっちゃうじゃない!

なんて思ってしまうオタク気質の僕は、「好きなものフォルダ」に次々にファイルをぶち込んでいた結果、容量オーバーでもう入るところがなくなっているだけなのかもしれない。

 

確かに僕の好きなものって、ウルトラマンしかり、ラジオしかり、10代までにのめり込んだものが大半だ。

キューバだ、ホットヨガだ、友達が大人になってからハマっているものには、あまり心を惹かれない。

いや、経験してみたい気持ちがないわけではないのだが、現状の趣味との折り合いで時間的にも金銭的にも厳しいと判断して、どうしても消極的になってしまうというのが正確か。

要するに、何かをはじめるには何かをやめて容量を減らさないといけない、と最近ようやく気が付いた。

やめどきがわからない僕にとっては、なんとも受け入れがたい話だ。

 

当然、だからといって無理に趣味をやめようとは思っていない。

そこまでして趣味を更新しなければいけない必要性にも駆られていない。

だけど、上手く趣味を乗り換えている人は、どうやってそれまでの趣味と折り合いをつけたのか、と気にはなる。

やめどきってわかるものなのかな。

それとも、やめたと意識することなく、自然となくなっていくものなのかな。

とりあえず、やめどきがわからないなりに、趣味をやめるタイミングを考えてみたい。

バンギャル的に言えば、上がるタイミングだ。

 

他のものに没頭した結果、やる時間がなくなって、そのまま興味がなくなっていくということはあるかもしれない。

僕の場合、それは新しい趣味ではなく、仕事や育児だったりするのだろうけれど、そんな結論はつまらないので脇に置いておく。

では、こんなV系シーンになったら興味を失うだろうな、というのを想像してみる。

インストバンドが流行って、ボーカリストが姿を消す。

逆にアカペラが流行って、楽器隊が姿を消す。

ライブハウスではお饅頭とお茶が配られて、白塗りバンドマンが落語を一席、なんて日がきたらどうだろう。

 

「上がる上がるってお前さん、上がって何をしようっていうんだい?」

「いやね、最近巷ではInstagramってのが流行ってるらしい。」

「写真ときたか。するってぇと、あの山のようにあった貴重盤はどうするっていうのさ?」

「売っちまうさ。良い値がつくといいんだが。」

「良い値がついても、"いいね!"がつかなきゃ才がない。お前さん、上がれないね。」

「なんでだい?」

「"あがり"も何も、賽がないんじゃふりだしから動けないって話さ。」

 

うん、こんなシーンは嫌だ。

でも、ひとつふたつだったら、こんなバンドがいても面白いんじゃないの? となるから、ヴィジュアル系は業が深い。

他にも色々とアイディアを思い浮かべてみるが、むしろワクワクしてしまって、当面上がれそうにはなさそうだ。

 

そして、このブログ記事のやめどきもわからない。

後半のV系漫談のくだり、完全に蛇足じゃないか。

これじゃ、全部台無しだ。

 

「で、お前さん、結局上がったのかい?」

「台が無ければ、上がることなどできませんぜ。」

 

おあとがよろしいようで。