天の川、スカイフィッシュの釣り堀にて

安眠妨害水族館では書かないこと、書けないこと

「MACANAと仙台バンド」

僕に仙台バンドの魅力を教えてくれたのは、地元のライブハウス、MACANAだった。

忘れもしない、2000年7月28日。

僕にとって、V系インディーズバンドの対バンイベントに行くのは、これがはじめてだった。

チケットは今でも大切にとってある。

 

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主催のAMADEUSのボーカルは、Moi dix MoisのSethとして活動中。

Crack brainはVersaillesのHIZAKIさんが在籍していたバンドだ。

Poisonous Dollのスペルが間違っているのはご愛嬌として、随分と豪華なイベントだったんだな。

若き日のムックまでいて、2,000円ポッキリとは良い時代である。

それまで、完全に音源ファンだった僕がライブに行ったきっかけは、なんてことはなく、友達に誘われたからだった。

 

男子校に通っていたこともあり、校内でV系好きの友達を作ることは叶わず。

だけど、友達から、そのまた友達のバンギャルを紹介してもらう機会はわりと多かった。

当時は、V系ファンの男はそれと知られてはいけない、という暗黙のルールがあった弾圧期。

母数の少ない地方のバンギャルコミュニティ、同じ趣味の男子と仲良くなりたいというニーズはそれなりにあったようで、そこで思い当たるのが僕、ということになっていたようだ。

カミングアウトしていて良かったな、と今では思う。

 

このチケットは、その中のひとり、ミサちゃんから譲ってもらったものだ。

余談になるが、知り合いのバンギャルのうち、3人ぐらいがミサという名前を名乗っていた。

美佐子、美咲、美里…と、本名から取ったものもあれば、Dir en greyの「MISSA」から取った虜さんもいるのだろう。

僕の周りがたまたまそうだったのか、仙台特有のブームだったのか、日本各地にミサさんが増殖していたのかはわからないが、Da'vidノ使徒:aLのミサ様から取った人は少数派であることは残念ながら理解している。

このミサちゃん、友達が餞~はなむけ~のスタッフをしていて、動員がまだ一桁だから誰かを誘ってきてくれと頼まれたとのこと。

「アンティーク」にハマっていた僕は、ムックが見れるなら、とホイホイついていったのだった。

 

さて、音源ファン時代の僕といえば、東京コンプレックスが物凄くて、仙台バンドにはまったく興味がなかった。

東京、大阪、名古屋で活動しているバンドは格好良くて人気があって、仙台を拠点にしているバンドは、燻っていて小粒。

勝手にそう思い込んでいたのだ。

 

しかし、このイベントを境に、評価が一転する。

なぜなら、餞~はなむけ~とLuinspearに、まんまとハマって帰ってきたからだ。

餞~はなむけ~は、ラッコのてんてんさんが在籍。

Luinspearは、GOTCHAROCKAの樹威さん、ナイトメアのRUKAさんがいて、今でもコアなファンが多いバンド。

後になって思えばハマる要素はたくさんあるのだが、それまでまったくノーマークだったわけで、初見での衝撃というのは想像に難くないだろう。

餞~はなむけ~はまだ音源がリリースされていなかったため、Luinspearのシングルを買ったのだが、これは擦り切れるほど聴いたものだ。

 

その後、L'avier MatisやVelsadies、Seirenなどの魅力にも触れることができ、僕にとってはMACANAとの出会いが、仙台バンドとの出会いと置き換わる。

ナイトメアやze零roが仙台バンドを全国区に押し上げたときは、"やるじゃん、MACANA!"とガッツポーズをしたものだった。

 

そんなMACANAも、2011年の東日本大震災により、一時閉鎖となってしまう。

老朽化していたことも踏まえれば仕方ないが、やはりショックだった。

社会人になっていた僕は既に仙台には住んでいなかったし、気がついたら仙台バンドブームも終わっていたし、3人もいたミサちゃんのメールアドレスはとっくに携帯電話から消えている。

それでもMACANAのない仙台シーンは考えられなかった。

だからこそ、場所を変えて復活すると聞いたときは、どこかの休みで絶対に行こうと心に決めていた。

 

そして、そのチャンスは2015年に訪れる。

上京してからも、仙台バンドはついつい応援してしまう僕。

Jin-Machineにハマってしまったのだ。

正直なところ、当初は絶対にハマることはないなと思っていた彼らだが、震災を経て制作された「東北民の唄」という楽曲をCDで聴いて以来、すっかりのめり込んでしまった。

この曲自体は代表曲でもなんでもなく、結局ライブでは一回も聴くことができていないのだけれど、そんな曲で出会ってしまったというのも運命なのだと思う。

 

そんなJin-Machineが、MACANAでワンマンをやるという。

翌日には、マイナス人生オーケストラとえんそくを加えた3マンも。

これは行かないわけにはいけないでしょ、と有休を使って帰省ついでに足を運ぶことにした。

 

10年以上ぶりのMACANAは、何も変わっていなかった。

当然、そんなはずはない。

だって移転しているわけで、場所から違うのだもの。

でも、MACANAは何も変わっていなかった、という感想が当たり前のように出てきた。

僕がMACANAに求めていたものが、ちゃんとそこにあったから。

東京でのライブとは違う顔で演奏する仙台バンド、Jin-Machine

2日とも最高だった。

ライブの高揚感で、飲めない酒も美味しく飲みきってしまうくらい楽しかった。

ちょっと本音を言うと、えんそくが良かった。

Jin-Machineも良かったけど、えんそくが本当に良かった。

 

ちなみに、 Jin-Machineのライブは"ミサ"と呼ぶのがお約束だ。

僕のMACANAは、ミサではじまり、ミサで終わるということなのかもしれない。

万が一、億が一、Da'vidノ使徒:aLが復活して、何故か仙台公演が決まったとしたら、是非MACANAを会場に選んでほしい。

普段はピエトロ信者の僕だが、そのときだけはミサ様に魂を捧げることにするから。

 

 

「ハンドルネームとチャットの記憶」

ネットで使う名前、それがハンドルネーム。

僕の場合は、"魚がとれた"だ。

 

何故、魚がとれたになったかというのは、既に色々なところで書いてしまったのでさらっとだけ。

中学生の頃の文化祭。

校内放送を行っていた生徒会のメンバーが、1年の思い出を募っていた(ラジオのコーナーにハガキを出すのを想像していただければ、イメージが沸くだろうか)。

僕は、絶対に採用されないように「魚がとれた」とだけ書いて投稿したのだが、飛び道具枠でまさかの採用。

しかも、名前とネタを取り違えて、「次の思い出は、魚がとれたさん…」と読まれたうえ、そのままなかったことにされるというおまけつきだ。

「魚がとれたさんと呼ばれた以上は、魚がとれたさんになってやろうじゃないの」とこの名前を名乗るようになったのが、すべてのはじまり。

ちなみに、中学時代の僕には、魚がとれた思い出など一切ないことも補足しておく。

 

さて、本題に。

実は僕、はじめからインターネット上で魚がとれたと名乗っていたわけではない。

この名前も並行して使ってはいたのだが、それこそラジオにハガキを出したり、ゲームなどでニックネームをつけなければいけないときなど、誰かに名乗ることを前提としない場面で用いていた。

ネットでは、なんとなく別の名前にしようと思っていたのだ。

 

今のようにSNSが主流ではなかった時代、自作サイトを持たないユーザーにとって、名乗る機会があるのは、掲示板にカキコするときか、チャットに入室するとき。

僕は、その頃に好きだったHysteric Blue関連のチャットによく出入りしていた。

理由は、ときどきメンバー本人が入ってくるから。

Twitterで簡単にリプを飛ばせる現代とは異なり、あの頃は、メンバーとネット上で交流する機会なんてほとんど与えられていない。

これはなんとしても覚えてもらわなきゃ、ということで、他と被らないハンドルネームにしようと必死だったのを覚えている。

 

そして、決めた名前が"新食感宣言"。

数ある候補の中、パソコン台の脇にヤマザキの食パンが置いてあったのが決定打になった。

どうせチャットデビューするなら、入室の段階からインパクトがあるほうがいいな。

お決まりの台詞でもあったらいいのではないか。

初心者は、考えなくていいことまで考えてしまうのが性。

ハンドルネームだけ決めて終わらせておけばいいものの、あろうことか斬新な登場を演出するため、「新食感!」と挨拶するキャラクターで行くことに。

荒らしだと思われても仕方ない痛々しさだが、あの日の僕はそれを理解していない。

とにかく目立つことだけを考えていた。

 

かずさんが入室しました。

かず:ばんわ~

ひろ:今晩は~

MIKA:お、今日は早いね!

新食感宣言さんが入室しました

新食感宣言:新食感!

 

当たり前だが、新食感宣言に友達はできなかった。

誰かが入ってくるたびに「新食感!」と言うのだけれど、そのほとんどが無視される。

段々と会話に入っていくことができなくなり、そのまま退室。

新食感宣言は、わずか1日でハンドルネームとしての使命を終えた。

 

諦めきれない僕は、名前を変えて出直すことにした。

入室せずに会話の流れを読むことで、常連さんの入室時間や癖、性格などを把握。

ここだ、というタイミングで入室するのだ。

名前はシンプルに、"あき"にした。

特に本名に"あき"の要素はないのだが、小学校の頃、"あき"という別人格がいる設定だったことがあったから。

この話は、氷が溶けるまでもっと時間がかかりそうだから、また今度。

 

研究が奏功し、今度はすっとチャットの流れに乗れた。

新食感宣言には冷たかった常連さんたちも、あきにはちゃんと話しかけてくれる。

ようやくチャットの面白さがわかってきた、その矢先だった。

"アキ"さんが入室してきたのだ。

しばらくチャットには参加していなかったようで、僕には知らない名前だったのだが、相応に古株らしい。

あっという間にチャットは同窓会的な空気に様変わり。

ぽっと出の"あき"に居場所はなくなっていた。

 

そんなこんなで、"魚がとれた"に落ち着いて今に至る。

他と被らないという意味では、この名前で十分だったということに、何故最初から気付けなかったのだろう。

"ウオガ トレタ"という読み方で定着しそうになったときには肝が冷えたが、新食感宣言の悪夢を経験した僕に、もう恐れるものはない。

この名前をくれた生徒会、本当にありがとうございました。

 

なお、後日、同じチャットに妹が入室することに。

ハンドルネームは"☆☆☆"。

気をてらいすぎだと馬鹿にしていたが、チャットメンバーへのインパクトはあったようで「なんて読むの?」という話題作りに成功。

"みつぼしさん"なんていう素敵な呼び方が定着していた。

完全に敗北した、と思った。

 

 

 

 

「ナイキのエアマックス」

僕が中学生の頃、ナイキのエアマックス95が流行った。

靴底に空気の塊が入っていて、衝撃を吸収する当時としては画期的なアイディアのハイテクスニーカーだ。

人気が出すぎて生産が追い付かず、プレミア価格に。

新品だと50~60万円、中古でも10万円はしていたと思う。

そのため、"エアマックス狩り"なんてのもニュースを騒がせており、既に地方の中学生が履くようなシロモノではなくなっていたが、憧れは高まっていくばかり。

スニーカーにはあまり興味がなかった僕も、どんなに凄いものか履いてみたい!という気持ちは大いに駆り立てられた。

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僕の中学には指定靴があったため、そもそもスニーカーを履いてくる者はいない。

だけど、不思議なもので、誰かがエアマックスを手に入れたという噂はすぐに広まる。

「神田くんのお兄ちゃんの友達が持ってるようだ」とか、「横谷くんの従兄弟がナイキとコネクションがあるから貰ったらしい」とか、ほとんどは伝聞の伝聞みたいな話。

今思えばホラも多く含まれていたのだろうが、LINEなどのSNSどころか、カメラ付きの携帯電話すら普及していない時代だ。

事実を確かめようがないので、無条件に受け入れるしかない。

 

そんなある日、ソフトテニス部の同期であった広野くんが「自分はエアマックス95を持っている」と言い出した。

今までの噂には無条件降伏だった僕等も、より身近な人物が「持っている」と言っていれば、「じゃあ確かめよう」という流れになるのは自然なこと。

疑うというより、単純に「エアマックスが見たい」という好奇心で、広野くんがエアマックスを持ってくるように仕向ける計画を立てた。

 

計画はシンプル。

部活で使用可能なテニスシューズのラインナップに、"エアマックス95"を加えるというもの。

噂は既に上級生も知るところで、3年生の提案が採用された形だ。

スポーツ用のスニーカーなのだから、テニスコートで使っても問題ない、という超理論なのだが、そんなにストイックな部活動ではなかったこともあり、3年生が良いと言えばルールは変わる。

ルール改正の裏側を知らない広野くんは、「じゃあ俺、エアマックス履いてきちゃおうかな!」とノリノリ状態。

明日の部活では、遂にエアマックスの実物を拝むことができるぞ、と部員たちはワクワクしていた。

 

そして、翌日の部活の時間が来た。

意気揚々と登場した広野くん。

足元に注目しながら、それを取り囲むソフトテニス部員たち。

「すげぇ!」、「かっけぇ!」という感想に満足そうな広野くんだったが、僕は気付いてしまった。

 

あの有名なナイキのマーク…

こんな形じゃなかったはずだ…と。

 

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そう、広野くんのエアマックスは、偽物だった。

部員たちも、その事実に徐々に気付き始めたようで、重苦しい空気が流れだす。

張り詰めた空気を破るように、部長が口を開いた。

「これ、エアマックスじゃないから規則違反。」

広野くんは、罰としてグラウンドを3周走らされた後、「体調が悪くなった」と言い残して帰宅した。

それが、ソフトテニス部員としての広野くんを見た最後だった。

 

後日、広野くんは卓球部として活躍していると聞いた。

そこでのあだ名は「矢印」だった。