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天の川、スカイフィッシュの釣り堀にて

安眠妨害水族館では書かないこと、書けないこと

「ハンドルネームとチャットの記憶」

ネットで使う名前、それがハンドルネーム。

僕の場合は、"魚がとれた"だ。

 

何故、魚がとれたになったかというのは、既に色々なところで書いてしまったのでさらっとだけ。

中学生の頃の文化祭。

校内放送を行っていた生徒会のメンバーが、1年の思い出を募っていた(ラジオのコーナーにハガキを出すのを想像していただければ、イメージが沸くだろうか)。

僕は、絶対に採用されないように「魚がとれた」とだけ書いて投稿したのだが、飛び道具枠でまさかの採用。

しかも、名前とネタを取り違えて、「次の思い出は、魚がとれたさん…」と読まれたうえ、そのままなかったことにされるというおまけつきだ。

「魚がとれたさんと呼ばれた以上は、魚がとれたさんになってやろうじゃないの」とこの名前を名乗るようになったのが、すべてのはじまり。

ちなみに、中学時代の僕には、魚がとれた思い出など一切ないことも補足しておく。

 

さて、本題に。

実は僕、はじめからインターネット上で魚がとれたと名乗っていたわけではない。

この名前も並行して使ってはいたのだが、それこそラジオにハガキを出したり、ゲームなどでニックネームをつけなければいけないときなど、誰かに名乗ることを前提としない場面で用いていた。

ネットでは、なんとなく別の名前にしようと思っていたのだ。

 

今のようにSNSが主流ではなかった時代、自作サイトを持たないユーザーにとって、名乗る機会があるのは、掲示板にカキコするときか、チャットに入室するとき。

僕は、その頃に好きだったHysteric Blue関連のチャットによく出入りしていた。

理由は、ときどきメンバー本人が入ってくるから。

Twitterで簡単にリプを飛ばせる現代とは異なり、あの頃は、メンバーとネット上で交流する機会なんてほとんど与えられていない。

これはなんとしても覚えてもらわなきゃ、ということで、他と被らないハンドルネームにしようと必死だったのを覚えている。

 

そして、決めた名前が"新食感宣言"。

数ある候補の中、パソコン台の脇にヤマザキの食パンが置いてあったのが決定打になった。

どうせチャットデビューするなら、入室の段階からインパクトがあるほうがいいな。

お決まりの台詞でもあったらいいのではないか。

初心者は、考えなくていいことまで考えてしまうのが性。

ハンドルネームだけ決めて終わらせておけばいいものの、あろうことか斬新な登場を演出するため、「新食感!」と挨拶するキャラクターで行くことに。

荒らしだと思われても仕方ない痛々しさだが、あの日の僕はそれを理解していない。

とにかく目立つことだけを考えていた。

 

かずさんが入室しました。

かず:ばんわ~

ひろ:今晩は~

MIKA:お、今日は早いね!

新食感宣言さんが入室しました

新食感宣言:新食感!

 

当たり前だが、新食感宣言に友達はできなかった。

誰かが入ってくるたびに「新食感!」と言うのだけれど、そのほとんどが無視される。

段々と会話に入っていくことができなくなり、そのまま退室。

新食感宣言は、わずか1日でハンドルネームとしての使命を終えた。

 

諦めきれない僕は、名前を変えて出直すことにした。

入室せずに会話の流れを読むことで、常連さんの入室時間や癖、性格などを把握。

ここだ、というタイミングで入室するのだ。

名前はシンプルに、"あき"にした。

特に本名に"あき"の要素はないのだが、小学校の頃、"あき"という別人格がいる設定だったことがあったから。

この話は、氷が溶けるまでもっと時間がかかりそうだから、また今度。

 

研究が奏功し、今度はすっとチャットの流れに乗れた。

新食感宣言には冷たかった常連さんたちも、あきにはちゃんと話しかけてくれる。

ようやくチャットの面白さがわかってきた、その矢先だった。

"アキ"さんが入室してきたのだ。

しばらくチャットには参加していなかったようで、僕には知らない名前だったのだが、相応に古株らしい。

あっという間にチャットは同窓会的な空気に様変わり。

ぽっと出の"あき"に居場所はなくなっていた。

 

そんなこんなで、"魚がとれた"に落ち着いて今に至る。

他と被らないという意味では、この名前で十分だったということに、何故最初から気付けなかったのだろう。

"ウオガ トレタ"という読み方で定着しそうになったときには肝が冷えたが、新食感宣言の悪夢を経験した僕に、もう恐れるものはない。

この名前をくれた生徒会、本当にありがとうございました。

 

なお、後日、同じチャットに妹が入室することに。

ハンドルネームは"☆☆☆"。

気をてらいすぎだと馬鹿にしていたが、チャットメンバーへのインパクトはあったようで「なんて読むの?」という話題作りに成功。

"みつぼしさん"なんていう素敵な呼び方が定着していた。

完全に敗北した、と思った。

 

 

 

 

「ナイキのエアマックス」

な行

僕が中学生の頃、ナイキのエアマックス95が流行った。

靴底に空気の塊が入っていて、衝撃を吸収する当時としては画期的なアイディアのハイテクスニーカーだ。

人気が出すぎて生産が追い付かず、プレミア価格に。

新品だと50~60万円、中古でも10万円はしていたと思う。

そのため、"エアマックス狩り"なんてのもニュースを騒がせており、既に地方の中学生が履くようなシロモノではなくなっていたが、憧れは高まっていくばかり。

スニーカーにはあまり興味がなかった僕も、どんなに凄いものか履いてみたい!という気持ちは大いに駆り立てられた。

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僕の中学には指定靴があったため、そもそもスニーカーを履いてくる者はいない。

だけど、不思議なもので、誰かがエアマックスを手に入れたという噂はすぐに広まる。

「神田くんのお兄ちゃんの友達が持ってるようだ」とか、「横谷くんの従兄弟がナイキとコネクションがあるから貰ったらしい」とか、ほとんどは伝聞の伝聞みたいな話。

今思えばホラも多く含まれていたのだろうが、LINEなどのSNSどころか、カメラ付きの携帯電話すら普及していない時代だ。

事実を確かめようがないので、無条件に受け入れるしかない。

 

そんなある日、ソフトテニス部の同期であった広野くんが「自分はエアマックス95を持っている」と言い出した。

今までの噂には無条件降伏だった僕等も、より身近な人物が「持っている」と言っていれば、「じゃあ確かめよう」という流れになるのは自然なこと。

疑うというより、単純に「エアマックスが見たい」という好奇心で、広野くんがエアマックスを持ってくるように仕向ける計画を立てた。

 

計画はシンプル。

部活で使用可能なテニスシューズのラインナップに、"エアマックス95"を加えるというもの。

噂は既に上級生も知るところで、3年生の提案が採用された形だ。

スポーツ用のスニーカーなのだから、テニスコートで使っても問題ない、という超理論なのだが、そんなにストイックな部活動ではなかったこともあり、3年生が良いと言えばルールは変わる。

ルール改正の裏側を知らない広野くんは、「じゃあ俺、エアマックス履いてきちゃおうかな!」とノリノリ状態。

明日の部活では、遂にエアマックスの実物を拝むことができるぞ、と部員たちはワクワクしていた。

 

そして、翌日の部活の時間が来た。

意気揚々と登場した広野くん。

足元に注目しながら、それを取り囲むソフトテニス部員たち。

「すげぇ!」、「かっけぇ!」という感想に満足そうな広野くんだったが、僕は気付いてしまった。

 

あの有名なナイキのマーク…

こんな形じゃなかったはずだ…と。

 

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そう、広野くんのエアマックスは、偽物だった。

部員たちも、その事実に徐々に気付き始めたようで、重苦しい空気が流れだす。

張り詰めた空気を破るように、部長が口を開いた。

「これ、エアマックスじゃないから規則違反。」

広野くんは、罰としてグラウンドを3周走らされた後、「体調が悪くなった」と言い残して帰宅した。

それが、ソフトテニス部員としての広野くんを見た最後だった。

 

後日、広野くんは卓球部として活躍していると聞いた。

そこでのあだ名は「矢印」だった。

 

「Da'vidノ使徒:aL」

た行

Da'vidノ使徒:aLが好きだった。

1997年から1999年に活動していた、僕がヴィジュアル系のインディーズシーンにどっぷり浸かるきっかけとなったバンド。

これで「ダビデシトアエル」と読むので、"ヴィジュアル系読みにくいバンド名選手権"的な企画では、ほぼ間違いなく出題される。

覚えておくといいだろう。

 

バンド名だけに留まらず、ヴィジュアルイメージも独特だった。

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有名なのは、このアーティスト写真だと思う。

おとぎ話から飛び出したような可愛らしいフロントマンと、劇団四季のミュージカルに出てきそうな脇役的キャラクター。

衣装における予算がボーカルに集中しているバンドは珍しくもないのだが、ボーカル以外のメンバーに"脇役"という役割をはっきりと与えている点で、彼らは特に個性的であったと言える。

音楽雑誌で彼らを見た瞬間、心を奪われ、CDを買いに走っていた。

 

奏でる音楽もまた、独創的だった。

クラシカルな様式美に、ポップだけど毒を含んだメロディ。

自らを登場人物に見立てた不思議な世界観は、メジャーシーンで活躍していたバンドの何れとも交わることがなく、"インディーズには、こんなにも面白い音楽が隠れているのか!"と衝撃を受けたのを覚えている。

 

そのうえ、ツインボーカルにツインベースという他に例を見ないバンド編成だ。

メンバー構成は、Vo.ピエトロ、Gtリエット、Ba.エルゼ、Ba&Vo.ミサという4人。

正直なところ、演奏力はさほど高くなく、ツインボーカルのどちらもが調子っぱずれ。

それでも憎めない、むしろ深くのめり込み続けて今に至っているのは、結局のところ、代わりになるバンドが生まれてこないから、それに尽きるのだろう。

彼らのメルヘンを表現するためには、ピエトロの子供のような歌声は必要なパーツ。

その対比である"畏れ"を示したミサの低音ボイスも、これまた不可欠。

集まった素材で最大限に勝負できる音楽を、と考えたときに、彼らを上回るトータルプロデュース力を持ったバンドに出会ったことがない。

なんなら、歌が上手い人がDa'vidノ使徒:aLのフォロワーバンドを結成したとしても、"これは違う…"となってしまうと思うのだ。

 

そんな唯一無二の彼らであるが、再結成はほぼ望めない状況。

メンバーが全員、現役でのバンド活動を退いており、裏方に回ったり、音楽業界を引退していたりする。

バンドの顔であるピエトロにおいては、ホストに転身したという噂が流布され、バンド時代を黒歴史化しているというのが通説だった。

そもそも、ピエトロは病で死亡した、という公式設定があるので、ただなんとなくの復活はやめてほしい、という複雑なファン心理も駆け巡る。

現役時代に地方の中学生だった僕が抱いていた、Da'vidノ使徒:aLのライブを見るという夢は、おそらく夢のままで終わってしまうのだろう。

 

しかし、事件は2016年に起こる。

15年以上シーンから離れていたピエトロが、当時所属していたレーベルのボス、幸也さんのドラマーとしてステージに立つというのだ。

そのライブ会場も個人的に縁のある場所で、これは運命だと感じた僕。

平日だったが、あることないこと理由をつけては仕事を切り上げ、そそくさと会場に足を運んでいた。

 

イベントのトリとなる幸也セッション。

ドラムセットの向こうに、ピエトロがいた。

黒をベースにした地味な服装。

現役時代のイメージとはだいぶ異なるが、紛れもなくピエトロだった。

実年齢よりはだいぶ若く見える。

驚き、喜び、感動に感傷、さまざまな想いが一気に溢れて、すっかり放心状態。

ライブの流れは完全に無視でピエトロだけを凝視する姿は、周囲から見たら奇怪だったと思う(もちろん、ライブそのものも素晴らしい内容だった)。

 

幸也さんによれば、pleur(Da'vidノ使徒:aLの後にピエトロが-F-名義で結成したバンド)が終わるタイミングで、"今後はどうするのか?"と聞いたところ、"世間から忘れられたい"と答えたとのこと。

シーンの外でサポートドラマーとして活動していたのは知っていたが、その意思を尊重して、発表はしてこなかったそうだ。

交流は続いていたようで、そろそろいいか、と満を持してのセッション参加。

Da'vidノ使徒:aLの加入前はドラマーだったという話は聞いたことがあったが、確かになかなかの腕前だ。

定期的に叩いていたというのも、ホスト説を否定するための嘘というわけではなさそうだった。

 

個人的に嬉しかったのは、セッション参加メンバーの表記で、ピエトロが"トロピエ"と記載されていたこと。

誤植かもしれない。

ふざけただけかもしれない。

だけど、設定上この世にいないピエトロがドラムを叩けるはずがない、それでも当時のコアなファンにピエトロの復帰を伝えたい。

そのジレンマの着地点として、"トロピエ"という表記に落ち着いたのだと想像すると、幸也さんの心配りに頭が下がる思いだ。

ライブ中、"ピエトロが見えなくなる!立ち位置被らないで!"と心の中で叫んだこと、この場で謝罪いたします。

 

なお、2度目のセッション参加のときは、本名である"EISHUU"名義となっていた。

当然、ドラマーEISHUUを今後も応援していく所存だが、"トロピエ"としての最初で最後のライブに立ち会えたことは、一生の想い出として記憶に刻んでおこう。

世間がピエトロを忘れたとしても、 僕にとってDa'vidノ使徒:aLは人生レベルで影響が大きいバンド。

絶対に忘れてはいけない奇跡だったのだから。