天の川、スカイフィッシュの釣り堀にて

安眠妨害水族館では書かないこと、書けないこと

「質問箱では答えきれない」

最近Twitterで見かけるPeingに登録してみた。

過去にインタビューズや、Ask.fmなどの類似サービスがあったが、Twitterと連携することを前提に作り込まれているので、気軽っちゃ気軽。

質問も匿名で簡潔にできるので、流行るのも納得かな。

もっとも、一般人への質問なんてすぐに尽きてしまうので、一過性のブームになる可能性は極めて高いけれど。

 

peing.net

そんなわけで、何か聞きたいことがあればぶち込んでおいてください。

回答するかどうかは、僕の常識や感覚で判断させていただくので悪しからず。

 

これ、使いやすさと引き換えにネックとなるのが、文字数の制限。

Twitterに投稿することが前提で、かつデフォルト設定のURL等がくっつくため、回答できるのは100文字まで。

せっかく語る機会を与えてもらったのに、これでは足りなすぎる!

ということで、回答済の質問について、もう一度深堀りして答えようかと。

 

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これ、本当に覚えていないのですよね。

だって、X JAPANなんて小学生の頃から知っているけれど、V系と意識して聴いていたわけではないし、そもそも当時はV系ってジャンルがあるなんて知らないし。

J-POPは好きだったから、ランキング番組なんかでLUNA SEAGLAYを知って聴いていくうちに、自分の好きな音楽の集合体がV系というジャンルになっていると認識していくわけじゃない。

境界線なんて、最初は曖昧じゃない。

 

そういう意味で、初めてV系であると意識して買ったCDは、SHAZNAの「Melty Love」だったのではないかな、と。

ただ、これもV系バブルの前兆となるのが「Melty Love」だったから、そのぐらいの時期だったのではないかってだけで、実際前後関係が定かじゃないです。

黒夢だったかもしれないし、SOPHIAだったかもしれない。

約20年後に、未だにV系にどっぷり浸かっていて、こんな質問をされるなんて思ってもいないもの。

 

明確に認識しているのは、初めてライブを見たV系バンドが餞~はなむけ~であること。

sakanagatoreta.hatenablog.com

…と思っていたけれど、L'Arc〜en〜CielがV系に含まれてしまうなら、「1999 GRAND CROSS TOUR」を観に、岩手県安比高原まで遠征してるわ。

終電逃して、一緒に行ったクラスメイトの関君とコンビニで立ち読みしながら朝を待ったわ。

記憶って曖昧だ。

だからこそ僕はブログで、そのとき、そのときの記憶を残したいのかもしれない(適当)。

 

 

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思うところがあるのでしょうね、質問してくれた方は。

 

ラストライブも行けなかったし、ほとんど音源ファンではあったけれど、メガマソは好きなバンド。

1stライブにも足を運んでいるし、思い入れはある方だと思う。

その点で、解散に至ってしまったこと、残された楽曲たちがライブで演奏される機会を失うことは、純粋に残念で仕方ない。

 

一方で、"涼平さんのバンド"というイメージを払拭することが、最後まで出来なかった。

インザーギさんの曲が苦手とかそういう話ではなくて、僕が求めてしまうのは"涼平さんっぽい曲"だし、"涼平さんっぽい魅せ方"だったのだ。

インディーズに戻って発表された「動かなくなるまで、好きでいて。」が涼平節全開だったことを踏まえれば、大人の介入が原因のひとつだったと思われるが、アルバムを出し始めるぐらいから、その密度は薄まっていった気がする。

その結果、密度がギュッと凝縮されていたアヤビエの加速的進化と比べてしまって、メガマソとしての個性を見つめることができていなかったのではないか、と今では思う。

悲しんでいるファンには本当に申し訳ないのだが、解散が決まって、アヤビエ時代のボーカリスト・葵さんに楽曲を提供して、涼平さんの音楽性における、アヤビエへの回帰傾向が強まることを期待している自分がいた。

涼平さんが引退するわけでないのなら、と割とすんなり解散を受け入れてしまった。

 

ちなみに、個人的な推測でしかないが、migimimi sleep tightの存在はあまり解散とは関係ないのではないかと思っている。

こちらを残したままメガマソが解散したことで、涼平さんがV系を辞めるのでは、という噂も流れているようだが、むしろ、V系がメインフィールドと捉えているからこそのメガマソの解散だったのでは、と。

 

メガマソは、活動休止、復活という劇薬を使った。

それがセンセーショナルとなるように、涼平さんはV系ではないバンドを組んだ。

しかし、ビジネスとして成功と言えるだけの結果が出せなかった。

涼平さんが音楽活動を"結果が出なくても趣味で出来ればいい"と捉えているとはとても思えず、ビジネスを成功させるためのスクラップアンドビルドメガマソで実行したと考えれば、どちらを主軸と見ているかは明白だ。

ということで、涼平さんははやくシーンに帰ってきてほしい。

常に凡人である僕らが考えることの斜め上を目指す涼平さんだから、新バンド結成なんていう素直な形ではないかもしれないけれど。

 

 

文章が長くなっただけで、まとまってはいない気がするが、Peingからの質問をベースに回答を深堀りするやり方は、ネタ不足のときに役立ちそうだ。

そういう意味でも、質問はどしどし送ってもらいたい。

真面目なやつばかりでなくても、まったくかまわないので。

 

「こういう夢ならもう一度逢いたい」

 

 

僕の好きだったバンド、Hysteric Blue

活動休止中であった2004年、Gt.ナオキが紅白出演アーティストとしては前代未聞とも言える事件を起こして、そのまま解散が発表された。

 

近年、解散したバンドが復活する、なんてニュースも珍しくなくなった。

絶対にありえないと思っていたバンドまで復活を遂げていて、本当にありえないなんてことはありえないのだな、なんて思ったりもする。

しかし、数々の復活劇を横目に、メンバーに服役中の受刑者がいるHysteric Blueは、大々的な復活をできずにいる。

プロデューサーであった佐久間正英氏の追悼関連のイベントでHysteric Blue名義で出演したことはあったが、既に残されたメンバーであるVo.TamaとDr.楠瀬拓哉によるユニット、「Sabão」での活動が開始していた時期であり、Sabãoによる企画という印象が強い。

 

もっとも、一般的には、2013年のSabãoの結成=Hysteric Blueの復活と捉えられているのだろう。

実際、Hysteric Blueの楽曲も演奏しているし、"Hysteric Blueに捧げる"というタイトルでライブを開催したこともあるので、その認識で問題ないはずだ。

それでも、やはり"Hysteric Blueが見たいな"という気持ちは捨てられない。

解散後、ナオキ作曲のナンバーは演奏されていないし、Sabão以降の新曲も相応にできてきた中、青春時代の想い出が、リアルタイムのものとして更新されていくことに寂しさを感じているからかもしれない。

実態的にSabãoとしての活動も停滞しているので、それはそれで寂しいのだが。

 

そんなわけで、Hysteric Blueとしての復活ではなかったことに、Hysteric Blueの完全復活の余地を夢見てしまう僕。

わかっている。

その答えは、もう本人たちが出している。

 

記事のタイトルにした"こういう夢ならもう一度逢いたい"という一節。

彼らの代表曲である「春~spring~」のサビのワンフレーズだ。

これに対して、Sabãoとして、活動休止からちょうど10年後にあたる2013年にリリースした「KNOW」 という楽曲がある。

具体的に歌詞の世界観にリンクしている部分があるのかは不明だが、サビのフックで、"こういう夢なんてもう二度とないんだ "と歌われていて、これを聴いて、Hysteric Blueの復活はないのだな、と理解してしまった。

もう一度逢いたかったけれど、もう二度とないんだ、Hysteric Blueは。

そんな風に。

 

話は変わって、もうひとつ、僕の人生に大きく影響を与えたバンド、ホタルが高田馬場AREAで13年ぶりのワンマンを行った。

こちらも、Hysteric Blueと同じ2004年に解散したバンド。

引退していたメンバーもいて、彼らが復活する未来なんて想像できなかったが、実質的なラストワンマンとなっていた「心臓ディストォション」で何度も繰り返していた"もう一度、ここに帰ってくるから"という宣言を、13年かけて実現した形だ。

 

彼らの新曲、「社会に散った日」には、"大人になってしまった僕らは 幾つも夢を捨てて此処に居る"という一節があって、先述の「KNOW」の歌詞を思い出した。

共通するのは、若い頃に結果を出したバンドマンが、挫折を経験して、説得力を増した言葉の重み。

復活したバンドでさえ、あの頃と同じ境遇にいるわけではない。

 

僕がHysteric Blueの復活に求めていたのは、飛ぶ鳥落とす勢いでCDが売れて、紅白に出場するぐらいに人気を集めて、聴いているだけの自分も一緒にステップアップしていくような高揚感。

それだったのかもしれないと気付いた。

今、ホタルに対して注いでいる感情を、あのとき、Sabãoにもしっかり注ぐべきだったのだな、と。

ようやく、本当の意味でHysteric Blueの解散、およびSabãoの音楽にも向き合えそうだ、と思った。

 

「運転免許証という身分証明書」

先日、人生で3度目くらいの免許の更新を終えた。

18歳で普通免許を取得してから、もう16年ぐらいが経ってしまったのだと思うと、なんだか気が遠くなってくる。

 

僕は、その間一度も事故や違反を起こしたことがない。

ゴールドドライバーというやつだ。

といっても、免許をとってすぐに上京してしまったため、実際はまったく車に乗る機会がなかったというのが正解。

僕みたいなペーパードライバーにこそ、更新のタイミングでしっかり講習をすべきだとも感じるが、運転スキルを可視化できない以上は仕方ないのだろう。

前回の更新時である5年前から運転経験ゼロという状況にも関わらず、さらっと講習を受けただけで再び免許証を手にすることができてしまった。

 

そんな僕にも、人生で3回だけ、教習車以外で運転した経験がある。

いや、うち2回は未遂で終わったからカウントすべきではないか。

最初は、大学の先輩とレンタカーでドライブに行ったとき。

サービスエリアから運転を交代するという流れになったが、発車しようとしたところで、何故かガソリンの給油口を開けてしまった。

なんとかしないと、と別のボタンを押したら、今度はトランクが開いた。

次に開くのは地獄の門パンドラの匣か。

この時点で、僕の運転デビューは断念せざるを得なかった。

 

次は、社会人になってすぐ、課長を取引先まで連れていくとき。

普段は自転車で移動していた僕だが、さすがに上司を後ろに乗せるわけにはいかないと、車での移動を試みた。

が、教習所の車と仕様が異なっていたことにテンパって、前進して車庫から出なきゃいけないところ、思いっきり壁に向かってバックしていた。

あえなく、運転は課長に交代することになり、僕はまたしても運転デビューを逃す。

こうして、まんまとトラウマ化。

僕が運転をしなくなる下地は、着々と出来上がりつつあった。

 

ところが、思いがけずに運転をすることになる。

親族で集まって会食をした際、車で来ていた親戚が飲酒してしまうという、いかにも正月らしい事件が発生してしまった。

もちろん、親戚を犯罪者にするわけにはいかない。

しかし、免許を持っていて酒が入っていないのは、体質的にお酒が飲めない僕だけ。

いっそのこと、自分もえいやあと酔っ払ってしまえば逃げられたのかもしれないが、腹を括って親戚の車の運転席に乗り込んだ。

 

こんな日に限って、雪が降っている。

夜、かつ悪天候で、もはや車線すら見えない。

隣で寝ているのは酔っ払い。

不安だらけだが、とにかく出発するしかない。

教習所ではマニュアル車に乗っていたためオートマ車のお作法がよくわからず、半クラッチの要領でアクセルを踏みながらブレーキを離したものだから、かなり強引なスタートとなった。

それでも、交代してくれる人は誰もいない。

 

しばらくして、なんとなく"車線変更しなきゃ"と思った。

次の交差点で右折をするから、最右の車線に入っていないといけないと直感的に感じ取ったからだ。

お察しのとおり、これが間違いだった。

どうして勘違いしたのかわからないが、もともといたのが最右の車線だったようで、そこから更に右にズレようとしたものだから、中央分離帯の縁石にタイヤを擦る音がガリガリと車内に響き渡る結果に。

酔っ払いも起きた。

自分の車がほんの少しずつ薄くなっていることを、どれだけ理解していたかはわからないが、そこから二度寝をすることはなかった。

もう二度と、車は運転しないと心に誓った夜のこと。

 

それでも、手元にあるのは新しい運転免許証。

顔写真付きで、身分証明書としての使い勝手は折り紙付き。

結局、身分証を提示する際の煩雑さから逃れるために、免許を更新しているようなものだ。

そして、晴れて廃棄となる以前の免許証と、受け取った新しい免許証を見比べて、僕は大事なことに気付く。

 

5年前の僕、今日と同じ服着てる。